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荻野 忠寛
tadahiro ogino

元千葉ロッテマリーンズ投手

荻野 忠寛(おぎの ただひろ)1982年生まれ。
東京都出身。桜美林高等学校を経て神奈川大学に進学、4年時の2004年には全日本大学野球選手権大会に出場した。神奈川大学リーグで通算50試合登板、33勝7敗、防御率0.87。最優秀選手3度、ベストナイン4度受賞。大学卒業後は社会人野球の日立製作所に入社。1年目からエースとしてチームを引っ張り、第76回都市対抗野球大会に出場を果たした。社会人2年目の翌2006年、第77回都市対抗野球大会北関東2次予選では、荻野の所属する日立製作所は出場権を巡って住友金属鹿島・富士重工業を相手に予選だけでなく3度ものプレーオフを戦ったが、荻野はこれらの試合のほとんどに登板した。プロ入り後の週刊ベースボール誌のインタビューでは「野球人生の中でこの時が一番きつかった」と語っている。結局この年は自チームでの都市対抗野球出場は逃したものの、住友金属鹿島の補強選手として本大会に出場、1回戦で先発投手を任され、後に東京ヤクルトスワローズ入りする衣川篤史とバッテリーを組んだ。同年秋の大学生・社会人ドラフトで千葉ロッテマリーンズから4巡目指名を受け、12月6日に仮契約し入団。背番号0は2006年シーズンまで社会人時代の先輩、諸積兼司が着けていた。ロッテの投手が背番号0をつけるのは吉田篤史以来。これに伴い、2007年時点で背番号0の投手は佐藤宏志、金剛弘樹に次いで3人目となった。2007年は6月24日のヤクルト戦で、中継ぎとして登板し2球を投げただけでプロ初勝利をあげる。ピンチにも全く動じない強心臓でチームの数々のピンチを救い、チームの2位通過に大きく貢献した。最終的な成績は58試合に登板して1勝3敗1セーブ、防御率2.21で、中継ぎエースの薮田安彦に次ぐ21ホールドポイントも記録した。2008年は前年退団した小林雅英に代わる新守護神に定着。前半戦は度々痛打されサヨナラ負けを喫した事もあったもののその後は安定した投球を見せ、9月27日のソフトバンク戦で前年小林が記録した27セーブを上回り、終わってみればトップのオリックス・加藤大輔に3つ差と迫るリーグ3位の30セーブをマークし、小林の穴を完全に埋めた。2009年も開幕から抑えに指名され5月中旬まで自責0を続けていたが、5月14日のソフトバンク戦で長谷川勇也、田上秀則の連続HRでサヨナラ負けを喫すると一気に調子を落とし、防御率5点台で6月には抑えをシコースキーに譲って中継ぎに回った。その後は防御率を3点台に戻し、被本塁打数が多かったものの、復調して主に勝ち試合の8回を任され(セットアッパー)、3年連続50試合登板、10ホールド9セーブを記録した。2010年は怪我によりプロ入り初の一軍登板無しに終わり、2011年も怪我の影響で2年連続での一軍登板無しに終わった。2012年6月17日に一軍登録され、同月28日の埼玉西武ライオンズ戦(QVCマリンフィールド)の9回表に3年ぶりの一軍マウンドに上り、1イニングを無失点に抑えた。2013年は2010年以来の開幕一軍となったが、6月18日に右肩関節鏡視下ガングリオン切除手術を受けた。2014年に千葉ロッテマリーンズを退団。2015年から、ロッテ入団前に所属していた日立製作所野球部へ復帰。社会人球界でプレーを続けている。2016年に日立製作所野球部を引退。



鈴木健

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