《Baseball MAPSセミナーの開催情報》

スーパーバイザー

新谷 博 hiroshi shintani

元西武、日本ハム投手

新谷博(しんたに ひろし)
1964年生まれ。佐賀県出身。
強豪の佐賀商業に進学した。1982年の3年夏の県大会では前評判通りの強さで優勝し、チーム打率と防御率は同年の選手権大会出場校のなかでともにトップだった。本大会初戦の8月8日の対木造高校戦では、ノーヒットノーランを達成した。大会後は日本代表に選ばれて遠征に参加した。複数のプロ球団からスカウトが勧誘に来たが、当時は高校野球の指導者を志しており、監督からの強い勧めもあって進学希望を早くから表明していた。同年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けたが、意思は変わらず駒澤大学に進学した。駒大野球部では4年生になったらエースを任せるという太田誠監督の方針もあり、無理な起用などはなかった。2年生では河野博文の存在もあってリリーフなどで起用され、3年生になると先発を任され春季リーグ戦では無四球完封を達成している。3年の秋季までに16勝を挙げるなど期待に応える成長を見せ、同学年の阿波野秀幸とともに東都リーグを代表する投手と評されていた。太田監督の勧めで社会人野球に進み日本生命に入社した。なお、東都大学リーグでは通算40試合に登板し、16勝6敗、防御率2.62、127奪三振の成績を残している。日本生命を経て、西武ライオンズから2位指名を受けて入団。
入団当時の西武は黄金期を迎えており、開幕2戦目の4月7日の対オリックス戦で早くも初登板を果たし、8月2日には初めて先発を任され初勝利を挙げた。同年は9月中旬まで計8試合に先発し、2完投を含む2勝を記録している。同年の日本シリーズでは第5戦で初登板して5回途中から1回2/3を投げ5安打を浴びて1失点しものの、第6戦では4回途中から1回1/3を1安打無失点に抑えた。
翌1993年は先発ローテーションの5番手として19試合に先発し、8月7日の対ダイエー戦ではプロ初完封を達成している。同年の日本シリーズでは中継ぎに。以降も最優秀防御率のタイトルを受賞。1995年は先発ローテーションの中心となり、同年のチーム最多となる11勝を挙げる。翌1996年は自身初の開幕投手を任され、チーム唯一の3年連続2ケタ勝利となる11勝を挙げた。その後は、日本ハムに移籍し、引退後の2002年から日本ハムで投手コーチを務め、野球の知識や技術を重視しつつメンタル面にも注力する指導を目指していた。2004年をもって日本ハムを退団し、スポーツコーチング術を学ぶため2005年に筑波大学の修士課程に入学した。一方、7月に尚美学園大学が女子硬式野球部を翌2006年に創設する事を発表したのにともない同部の監督就任の誘いがあり、これを承諾している。また、九州で唯一佐賀県だけは硬式野球チームがない事を知り、全国的に社会人野球チームの減少が続ていた事もあってチーム創設の取り組みを始めた。2006年は主に週末に尚美学園野球部で指導を行い、部員数が6名ながらも片岡安祐美ら各地の選手を加えて尚美ドリームスというチームで8月の全日本選手権に参加し、ベスト4まで進出している。2007年からは北海道放送の解説者も務め、同年春から翌年春にかけて尚美学園はヴィーナスリーグで3連覇を達成している。2008年の第3回IBAF女子ワールドカップでは日本代表の投手コーチを務め、3連覇を目指すアメリカを二次予選ラウンドで破り初優勝を遂げた。また、同年は尚美学園が全日本選手権で初優勝し、佐賀魂の監督を退いて総監督に就いたほか、大学院を修了した。2010年の第4回IBAF女子ワールドカップでも日本代表の投手コーチに就任し、連覇に貢献した。2012年にエドモントンで開催される第5回IBAF女子ワールドカップに向け、日本代表督に就任する事が2011年3月7日に発表された。自身が監督を務める尚美大学の選手・OGを含む8人が選出されたこの大会で、史上初となる3連覇を達成している。


relay (2).jpg

スクリーンショット 2015-03-25 18.39.47.png

スクリーンショット 2015-03-24 18.05.54.png

sign.png