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植松 優友
masatomo uematsu

元千葉ロッテマリーンズ投手

植松 優友(うえまつ まさとも)1989年生まれ。
大阪府大阪出身。大阪市立北天満小学校(現在の大阪市立扇町小学校)への在学中には、主にサッカーに興じていたが、5年生の時にソフトボールを始める。大阪市立天満中学校への進学後に軟式野球部に所属すると、主に一塁手として活躍した。金光大阪高等学校入学直後に、威力の高い直球を評価され投手に転向。1年生の秋季大阪府大会からベンチ入りするも、当初は安定しない制球力に苦しめられるが、地道に修正を重ね2年次から直球の球速も140km/hを計測するようになった。更に、天下一品と評されるスライダーを駆使し、一躍プロのスカウトから注目を集めるようになった。植松の評価を決定的なものにしたのは、2007年の全国高等学校野球選手権大阪大会の決勝戦で中田翔や浅村栄斗らを擁する大阪桐蔭との対戦で同年度の全国ナンバーワン打者として注目を浴びていた中田から3三振を奪ったことである。第89回全国高等学校野球選手権大会では初戦敗退を喫するも、投手としての素質と高校3年間を通じて中田を13打数無安打に抑えた実績が共に評価され、一気にドラフト上位指名が有力視される存在となった。2007年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3巡目で指名され入団した。イースタン・リーグ公式戦2009年には、9試合の登板で防御率4.32という成績を残した。2010年には、二軍で先発ローテーションに定着。イースタン・リーグ公式戦では、チームトップタイの5勝を挙げるとともに、チームの投手で唯一規定投球回数に達した。しかし、シーズン終了後に左肩の手術を受けた影響で、2011年には2試合の登板に終わった。2012年には、二軍の同リーグ優勝で臨んだファーム日本選手権の先発投手に抜擢。7回を被安打4の無失点に抑えたことから、優秀選手に選出された。2013年には、一軍の石垣島春季キャンプに初めて参加。新任の伊東勤一軍監督をはじめ、一軍の首脳陣から「期待の投手」に名を挙げられた。しかし、同年秋に両股関節の手術を受けるなど、故障が相次いだため2014年までは一軍公式戦での登板機会がなかった。2015年には、自身と同じ左腕投手・古谷拓哉の戦線離脱を受けて、6月4日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)で一軍初登板・初先発。敗戦投手になったものの、春季キャンプから磨きを掛けたナックルボールを武器に、6回1失点と好投した。2015年12月10日に、打撃投手としてロッテと契約。しかし、打撃投手として練習で投げ続けるうちに制球力が向上。中学校の軟式野球部時代から練習を積んだ末に、現役時代終盤の実戦登板で盛んに投げていたナックルボールを、前述の一軍公式戦で投げ切れなかったことへの後悔が募るようにもなった。さらに、野球生活の節目でマウンドに立っていた甲子園球場で2016年の12球団合同トライアウトを開催することが決まったため、ナックルボールを武器に現役生活への復帰を目指すことを決意。11月12日のトライアウトでは、球速110km/h台のナックルボールを駆使した結果、四球を1つ出しながらも打者3人を無安打に抑えた。

植松優友

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